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第6話 共同開発は何でもあり? (欧州編)

W社のサーバー側の開発と同時に社内では車室側端末の開発が行われていた。

欧州へのPR出張の前に,アメリカ側の開発に関して日本での開発と合体して総合的に確認するために米人技術者が2名日本へきて技術検証と協議をすることになり,米人の到着を待っていました。

 

当日,なぜだか名古屋の空港税関から私の方へ電話が入った。当時はセントレアはまだできていないので小牧空港の税関からで,米人はデトロイトから小牧への直行便を使うはずだったので,何かトラブルか?と思い,担当者を小牧空港へ向かわせ,情報を聞いたら,なんと。。。

彼ら米人が機内に持ち込んだものが税関で止められ没収の処置がとられようとしていた。

 

ここで,通常、航空機へ搭乗するときに機内へ持ち込むことが可能なものは何かという事について少し話す必要がありますが,

 

もちろん,違法なもの持ち込むことはできませんが,違法ではなくても持ち込んではいけないものがあるんです。

入国時のカードには明記されているんですが,「商用に供するもの」は,持ち込むことができないかまたは,持ち込むときには所定の関税を支払うことになります。

 

ここで問題ですが,「商用に供するもの」とは,なにも商売に使うものとは限りません。たとえば,携帯電話やパソコンなどは,1~2台ならば問題ないが,これが3台,4台となると商用であると認定されてしまうことがあります。つまり本人が商売をしようとしているかどうかとは関係なく,あきらかに複数台数の機材を他国に持ち込むのは,輸出行為とみなされるわけです。

 

「輸出」とはなにも商売だけでなく,個人が手持ちで他国へ持ち込むことも輸出行為にあたり,それが商売とみなされるときは関税を支払うか,没収されるかもしれないという事です。

私も米国との出張時に仕事柄,携帯電話を複数台数もって米国へ入国した時には,よく呼び止められて,その理由をよく聞かれました。

 

 

さて,くだんの2人の米人が持ち込んだものは,何かという事ですが,それは,マイクロソフト社との共同開発にて使用する試験用の電子基板で,60㎝四方の基盤2枚を5㎝間隔で重ねたものを汚い(?)段ボール箱約80cm×20cmの箱に入れたものでした。

 

専門用語でブレッドボードと言われる開発用の電子基板なんですが,これは,あきらかに日曜電化品ではなく,「明らかに」仕事に使われるものでそれもあやしい?電子基板の塊で,それを何に使うかを名古屋税関で米人が説明している姿は,まあ想像するに理解されないものであることは明らかです。大体,こういう場合は,こういうものは,別送で,貨物として送り,内容物を詳しく書いた書類を添付して送るべきものです。

 

それを何を血迷ったか,機内に段ボール箱で手持ちで運んだというから,君らはトラックにでも乗ったつもりか?と突っ込みたくなるのを抑え、あきれるほかはありません。こういう常識がない米人がいるんだという事を私も初めて知りましたが,まあデトロイト近郊の田舎町出身者であり,また海外渡航経験もない2人ではさもあらんと,あきれるやら。。結局その開発基盤は,名古屋税関で没収されてしまい廃棄処分されて,その後の仕事にも影響を与えたものでした。

 

製品開発はさておき,欧州へのPRのため,ドイツ→イギリス→スエーデン→米国へ戻る地球を左回りに1周する出張へ。

 

さて機上の人となり,ドイツへは,フランクフルト空港からドイツ国内線の飛行機でデュセルドルフへ行き同行する米人と合流、打ち合わせをして→シュツットガルトでB社へのプレゼンテーションという順序でしたが,機上にてドイツへの着陸直前になって,どうも欧州全国内航空線がストライキに入ったとのアナウンスが入り,ドイツ国内線が使えないことが判明。と言っても切符は購入済みなので,どうなるのか,CAに聞いたところでは,航空会社カウンターへ行って下さいというばかりで,どうしたら良いか不明という事でした。

 

仕方ないので,フランクフルトへ着き,ルフトハンザのカウンターカウンターへ直行して聞いてみると,選択肢は2つ,航空券の払い戻しかまたは,電車の切符へ振り替えの2つ。

払い戻ししてもどうせディッセルドルフへは行かないといけないので,電車の切符をもらって,フランクフルトから「電車に乗って,ケルン経由ディッセルドルフへと初めてのドイツ電車旅行となりました。幸運なことに時間としては余裕があり,電車でのんびり行くのも良いかと思いました。

しかし日本でもし航空機が飛ばない場合に電車で振り替えして切符が渡されるかという事はないと思いますのでそういう事を考えると,ドイツの場合,良いといえばよいですが,しかしそもそもストがあることが問題なのですが。。。

 

そこで,ドイツの電車なんですが,まあこれが,大体ドイツの電車にはあまり英語の案内表示がない。特に途中の駅などの表記もドイツ語しかなく,全くどこを走っているのかがわからず,非常に不安になったのですが,

 

そこで,しかたないので,隣の乗客を捕まえて,どこを走っているのか,最後まで行くにはどうしたら良いのかを聞いて,そしたら,途中のケルンで乗り換える必要があることがわかり,そこでまたケルンという町が田舎でもあり,これが英語表記もなく,聞いたとおりにプラットホームを変えて待っていたのですが,まあ不安でしたね。日本でも駅に英語表記がない,少ないと追う事が言われますが,それはドイツも同じですね。

 

そんなこんなで,なんとかデュッセで米人の同僚と合流して,シュツットガルトのあの星のマーク(陸海空を征するというスリーポインテッドスター)を社屋に掲げているB社との協議に臨みました。と言っても相手は技術部長1名だけですので,まあ自動車市場のあれこれ。技術内容を話して約2時間の協議を終え,いよいよ最後のスエーデンでの自動車会社4社を相手にプレゼンテーションの準備のため,ロンドンでイギリス支社,米国支社のメンバーと事前協議をして,その足でスエーデン,ゴーテスボーグGoteborg(日本名イエテボリ)へ向かいます。

ここは,スエーデンの小さい港町でV社の本社があり,今回のF社グループ4社の主要管理者(主に購買関係者)が集まるんです。

 

時は冬真っ盛り2月,北欧の小っちゃい空港は,暗く寒く、思ったより雪は少ないが凍結という文字がぴったりで,屋外へ出ると眉毛が凍り,眉毛に霜柱が。。。

小さい空港でもあり,降りる人もまばらで季節柄とてもさみしいところ。。。

 

プレゼン資料を作成するのですが,どうもいつもの通り,太平洋を中心とした世界地図を描き,世界の技術状況を表そうとしたところ,イギリス人から指摘されたのが,「我々の商習慣上の地図は常に大西洋が真ん中でアメリカ大陸が左,欧州大陸が右で日本は一番右の隅だ」と言われ,全くその通りで日本の常識は世界の非常識であることを思い知らされました。まさに日本は世界の果て「極東」の隅にあるのです。全く。。。

 

さてプレゼン会議は主要4社前にリーダーは,F社購買部の女性課長。。。そうなんです欧米では,課長クラス女性であることも多く,やはり相手が女性の場合は,緊張します。最初の握手一つにしても,率先して握手に行ってもいいものかどうかドギマギしてしまうことがあり,

 

20年以上前には,欧米でビジネスで女性と握手するときには男性から握手してはいけない,女性が手を出してから男性が握手をしなさいと教えられたこともあり,なかなか難しいのですが,今ではそういう事もないようですが,でもやはりね。特に相手がおばさんみたいなら問題はないが,今回のように典型的な知性的な美女の場合はやりにくい。

 

相手の4社の関係者もこの女性に一目置いているようで,意見としてこの女性管理職に追従する意見が多く,まあこういう場合でもビジネス上のやりかたは,世界共通ですね。

 

少しスエーデンの諸事情を書くと,会社の事務所の若い女性は,会社内ではへそ出しルックの薄着で,初めて会ったときはびっくりしたものですが,大体,スエーデンの冬は物凄く寒いというより凍り付く寒さで通常でこの時期ー10~20度cくらいで,このとき私は,スエーデンの都会を見てみたいと思い,電車でストックホルムへ行き,街中を散策しましたが,きちんと防寒着を着ていても10分も通りを歩いていると体が凍り付いてきて,その辺の店へはいって,体が温まったらまた通りを歩くという事で,

 

とても1時間も2時間も通りを歩くことは不可能です。従って,スエーデンの人は,冬は殆ど仕事以外では外出しないそうで,女性は化粧もせず,暗い顔で家に閉じこもっているのだそうです。しかしその反動で6月以降初夏になると,一斉に,化粧をして,薄着で女性は笑顔になって街を闊歩し始める,その時の女性の美しさと言ったらないぜ,という事を駐在していた日本人がいっていました。

 

また,各家庭の話をすると,親はあまり子供の面倒を見ないそうで,そのために子供が不良みたいになることが多いそうで,その理由は,スエーデンは税金が非常に高い(6~7割が税金、日本の消費税8%なんて比ではない)その代り,福祉が進んでいて,医療費,修学費などはもちろん無料で失業しても生活に困ることはありません。老後の心配もありません。

 

従って,小さい時から将来のことを考えてしつけをするとか勉強しなければならないという事はありません。いきおい親はそういう子供にしつけをする必要性はありません。だから犯罪でなければ子供が自由にやりたいことをやり親は放任することが多く,他人に迷惑をかけることも多いといっていました。まあ福祉国家という裏側みたいなもので,スエーデンというのは世界でも住みたい国1,2番という事ですが,そのギャップが意外でしたね。

 

さて、仕事もそこそここなして、ドイツ経由で大西洋を超えて米国へいくために再度フランクフルトから搭乗、チェックイン後、搭乗待合室へ、ルフトハンザの搭乗待合室は、ちょっと変わっていて、コーヒー、サンドイッチ、ビスケットなどが、無料で提供されます。

 

しかしその待合には、職員が搭乗客の切符をチェックしながら個人認証、確認をしていました。私の場合もどこから来て、どこへ行くのか、なんのための旅行目的を詳細に聞かれました。特に日本からドイツ、スエーデン、米国へという長旅のあやしい?アジア人という目で何度も切符と顔を見定めていました。当時の航空券には、日本から最初に乗った航空機のすべてのコピーが付いているので長々と説明するのは億劫ですね。またこんな待合でチェックされたのは、後にも先にもここだけでした。

 

さて、再度、米国へ行き、最終フィールド試験で最後の確認試験により量産化準備を進めるのですが、ここでF社近辺より不穏な情報が入電。米国自動車会社全体の経営が思わしくないらしい。大体開発の主体であるW社は、F社の100%出資であるから、どうなるかという憶測もあったが、F社担当からはそんなことはないとの情報もあり。はてさてどうなるのかと思いつつ、最終会議へと。。。

 

話は、最終会議後、全ての確認が終わり、量産化goサイン後、F社内での今後の方針会議にてTOPから経営上の問題によりこの共同開発によるサービスは停止廃止するとの通達があり、結局F社の判断により中止に追い込まれることになった。

 

契約上、当方に落ち度はなくひとえにF社側の理由により契約が破棄されたことであり、ここから、F社に対して損害賠償請求を実施することになり、その損失額は、数億円であり、企業間の損害賠償としても大きな額だが、問題は、金銭の請求よりも、実際に開発に要した作業内容、成果を明確にしなければならず、そういう作業に奔走、今後1年間を要することになるのである。。。

 

 

さて次回は、オーストラリア中東部 内陸深くに位置する

ワインの産地 ハンターバレーでの悪戦苦闘記の予定。本当のオーストラリア英語とはこんなか???

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