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第7話 オーストラリア大陸 南十字星は輝く

世界のワイナリーいわゆるワインの産地は、有名なところでは欧州フランス、ブルゴーニュとかスペイン、イタリアなどいろいろあり私も、ワイナリーへというより、仕事のため、ついでにいくつかのワイナリーへ行ったことがあり、北米ナパ・ヴァレーやオーストラリア ハンターバレーなどが訪問した経験があります。

 

ワイナリーや、その近くのリカーショップには 左に示した通りの名刺大の案内カードが置いてあり

 

上からナパ・ヴァレ、その下が、オーストラリアのーハンターバレー、その近くのmusslebrookという 田舎のリカーショップの名刺です。

 

ハンターバレーは、世界的に有名なオーストラリアのワイナリーであり、また狭い範囲にワイナリーが80箇所くらいあるためにこのワイナリーを巡るために観光地化していてホテルに滞在しながら毎日ワイナリーをめぐり、ワインを飲む毎日を過ごすという観光地でもあります。

 

ワイナリーが滞在型観光地になるというのは日本人には理解できないかもしれませんが、まさにワインを飲むことが目的の有名な観光地なんです。ワインが目的なだけに子供の姿はあまり観られませんが、無数のホテルと無数のワイナリーがあります。

 

さてこのオーストラリアの超有名なワイナリーがあるハンターバレーへ行った時の出張時の話です。

オーストラリア シドニー空港へ着いたのは、早朝でした。何故か、日本からオーストラリアへの到着便は、早朝に着くのが多い?

 

それは、観光が主になっていて、時差が少ないということから到着から早々に観光ができる早朝に着くのはメリットが有るのでしょう。

米国や欧州であれば、大抵の場合は夕方、現地へ着いて、一泊してから仕事に出かける、または観光に出かけるという事が多かった様に思いますが

 

こと、オーストラリアへ来た時には観光にせよ、ビジネスにせよ、常に早朝であったような気がします。

 

地図に示したとおり、ハンターバレーへはシドニーから車で約250km~300Kmあり、オーストラリアの内陸部に位置します。

 

地図から見るととても内陸とは思えず、まだまだ海岸寄りのように見えますが、それでも100㎞以上も内陸側へ入ることになり,日本の感覚から言えば、かなり内陸側へ入ることになるし,また気候や風俗,文化もシドニー等の都市部とは全く異なります。

 

言語さえも全く異なり,後述するてんやわんやの原因ともなる始まりというわけです。まあ,それだけオーストラリアは広大な大陸だということです。

 

こういうところへ行くには、電車はなく、いきおいレンタカーでしか行けず、我々2人もレンタカーを日本から予約してシドにー空港から休憩時間も含めて、5~6時間の長時間ドライブとなるわけです。

仕事は、ハンターバレー ワイナリーの真ん中にある電力会社の支社へ電気装置を売り込むため。

ハンターバレー ワイナリー

途中の都市と言ってもシドニー以外の都市はせいぜい数十万人しか居ないので途中の町、例えば、このニューキャッスルは、道路両側の建物がすべて一階建てで、道の両側に商店からはみ出した屋根付きの歩道があり、西部劇でみる風景を思い起こさせます。

 

電線は地下埋めのため、電線がないため、まさに日本人から見ると西部劇の風景みたい。

 

さてこのニューキャッスルへ行く道で、どうも我々はスピード違反をしたらしく、「らしく」というのはパトカーに捕まったのではなくカメラ撮影による違反の取り締まりに捕まったらしく,

 

後日、自宅へ速度違反の書類が送られてきたのです。海外で速度違反に捕まったのは初めてで、

書類を見たときはドキッとしましたが,どうやって処理をするのかと書類を見てみると、

インターネットのクレジットカード決済で罰金を支払えということでした。

 

レンタカーでしたので、多分車両ナンバーからレンタカー会社を通して書類を送ってきたものと思えます。確か$50位だったと思います。

 

しかし、その書類には、スピード違反をしたという写真や証拠もなく、違反をしたという場所が記載されており、レンタカー登録時の名前と住所が書かれていただけなので最初は、なんのことかわからなかったのですが、まあ心当たりもあることだししかたないと思って支払ったのですが、海外での速度違反がインターネット決済ができるとは思わなかったですね。

さて,ガソリン給油のため,途中ガスステーション(正確にはオーストラリアでは,ペトロルステーションと言い、やはりイギリス英語ですね)へ立ち寄り,ガソリンを給油していた時でした。同僚が給油している間に,私が携帯で電話しようとしていたところ,店の人が飛んできて,えらい剣幕で怒り出してきました。私は,よくわからなかったのですが,どうも携帯をかけることがいけないようでした。

 

オーストラリアでは,ガソリンスタンド敷地内で携帯電話を使うことは,違法で刑罰の対象になるそうで,びっくりしましたね。。

後でその理由をよく聞いてみたら,その昔(?)ガソリンスタンド内で火災,爆発事故があったそうで,どうもその時にスタンド内で携帯電話をかけていた人がいたらしく,その火災と結び付けて,それ以後,法制化して敷地内では携帯を使うことが違法になったという事です。

 

でもおかしいと思いませんか? 敷地内から一歩出て携帯をかけるには違法ではないのです。

電波が届く範囲は1歩や2歩で変わるわけはないのに,それに携帯電波で火災になるなんてことは

だれも思っていないのに,一度の事実から法制化してしまったらそれを変更できないらしく,オーストラリア人はこういうところで頑固なところがあるんですね。  まあなんていうか,へんなの。

 

皆さんもオーストラリアで給油するときは気を付けてください。

 

そんなこんなで,ニューキャッスルを過ぎて,いよいよローカルロードを走り,一路、ハンターバレーのMusllebrookへと車を走らせると,そこは一面,葡萄畑と,広大な工事現場?が見えてきます。

 

それは,石炭の炭鉱です。そうです,ハンターバレー近傍には,オーストラリア特有の露天掘りのいわゆる石炭の巨大な炭鉱があるのです。炭鉱は英語でcoal mine と言いますが,,mine と wineとゴロ合わせが良いのを合わせて,ハンターバレーには「マイナリー」があるんだ,それが自慢さと現地の人は言っていました。

 

さて,Musllebrookへ着いて,お客さんの所へ行き,話を始めましたが,ある事に気が付きました。

彼らの英語がおかしい。。というより,全く聞き取れないことに気が付いたのです。

オーストラリア英語は一般的には,aの発音がアイになるので,todayが to-die (ツダイ)と聞こえるのをはじめとして,口を閉じてしゃべるためにすべての音がくぐもって聞こえるのですが,それらは注意していれば,慣れてきて,聞き取れ,また発音自体を頭の中で置き換えることで意味は理解でき,それほど支障はないのですが,それもシドニーやブリスベーン,メルボルンなどの都市部でのことであり,少し内陸部へ入ると,全くそういう注意は何の役にも立たないことに気が付いたのです。

 

何が難しいかというと,彼らの言葉の単語という単語の発音には,区切りが全く無いように聞こえるのです。

英語は2つまたは3つの単語が繋がって,リンキングという発音体系があって、単語が繋がることがあるのですが,彼らのそれは,そんな生易しい事ではなく,ただただ,単語の途切れが全く無い(無いように聞こえる)従って,単語の区切りがないので,文章の意味がつかめないので,全く話が理解できません。。それと口もこれまた,あまり開けないので,明確な発音が聞き取れない。。

 

この口を開けないしゃべり方は,本人たちも良く知っていて,何故そういうしゃべり方をするのかその理由は彼らに言わせると,「オーストラリア内陸部は特に牛や羊が多く,そのためにハエが至る所に居るためにハエを追い払い,口に入るのを防ぐために話すときは口を開けないのだ」ともっともらしく言っていました。確かにワイン畑と炭鉱以外の所は全て牧草地で至る所にフンがあるので,外では何時も、ハエを追い払う必要があるのも確かです。

 

さて,今まで,インド人の英語や中国人の英語,ロシア人の英語など聞き取りにくいこともありましたが,それでもなんとか意味は理解してきましたが,ここ,英語のネイティブの国で,こんな聞き取れない英語は何だ!と とても面喰いました。それもニューキャッスルまでは良かったのですが,内陸部へ入った,ここはダメです。一般の人の発音も全く理解できません。 焦りましたね。。仕事に来たのに会話ができないとは。もう一人の同僚は全く英語は話さないので,どうしたものか。。。。

幸い,私が話す英語はしっかりと理解できているようなので,相手が話した後に,意味を「推察」して,私から内容をアンサーバックする事で,なんとか会話が成立するようにしましたが,仕事としては今ひとつ。言語としては、まあ日本語で言うと東北弁のようなものでしょうか。

 

翌日、我々の仕事のオーストラリアでの代理店をやっているオーストラリア人が彼らの会社があるブリスベーンから来て、我々と一緒に顧客へのプレゼンをやりました。この代理店の人の話し言葉は、普通のOG英語であり、我々にも理解可能であるために

質疑応答の時には、顧客の英語を代理店の人が再度、英語で我々に説明し、それに答えるという方法を取りました。

英語ー英語ー日本語というやりとりで、顧客の人にとっては、おかしな話で、なんで英語をまた英語で訳すのだという雰囲気でした。

 

英語は一つではなく,いろんな英語があり,英語ほど方言(?)や種類がある言語はありません。それだけ多くの地域で話されているためにその地方のアクセントが付くのですが,それも含めてすべてが英語であることをはからずも,また確認できましたが,それでも,こんな英語は,英語ではないと言いたいのですが。まあオーストラリア人の英語であることは間違いないのですから。

 

この夜は、顧客と夕食を共にし、なんとかやり終えましたが、

 

夜の空に輝く 南十字星がなんとなく物悲しく感じたものでした。

 

さて,そんなこんなで冷や汗をかきながら,一通り,なんとか仕事を終えて,シドニーへと戻り,同僚は帰国、私はついでにニュージーランドの

クライストチャーチにあるカンタベリー大学へ仕事の関係で知り合いになった大学の教授に会いに行くことになり、クライストチャーチへ。

カンタベリー大学学内の電子科の授業を見学してもらったのですが、ここは、海外からの留学生が半数くらい居て、日本、中国、欧州からもいろんな人種の学生がハンダ付けの実習をやっていました。

日本もいずれはこういう留学生が主体の大学も増えてくるのかなと思ったりして色々見て回りました。

 

左の写真は、その時の2003年のクライストチャーチ市内の写真ですが、この数年後、2011年2月に、あのクライストチャーチ大地震が起きました(正確にはカンタベリー大地震;カンタベリーというのはこの地方の名前で,クライストチャーチはその中の最大都市といっても人口30万人余しか居ませんがきれいな街です。)

 

この大地震が起き、この写真の施設、協会、街中は全て破壊されましたので、現在、写真の教会や施設などはもう見ることができませんし、写真の市内の様子も様変わりしています。

 

もう一度機会があれば、クライストチャーチへ行ってあの頃の風景を思い返してみたいと思っています。クライストチャーチはとて綺麗で、自然が豊かな美しい街という印象を受け、地震で破壊された時は、悲しい思いをしたものでした。

次回は、いよいよ 最近のビジネスでは落とすことができない、あの国、中国でのお話です。乞うご期待。

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