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第5話 海外会社との共同開発は絶体絶命(米国編) その2

 

2か月後に量産化GOサインを出した翌週月曜日に日本でプロジェクトの停止を知ったその日から,遡ること2年前,米国デトロイトのカーメーカF社の巨大なビルの役員室に関係者は集まっていた。

 

F社,日本のカーメーカN社,そして我々の3社の主要な関係者は,米国における自動車用サービスを立ち上げることで契約調印,そのサーバー側の技術開発を,F社が100%出資するベンチャー企業W社を創立して技術開発車載機を我々が開発し全体の開発拠点をサンディエゴのW社内に設立することで合意した。

 

さて,サンディエゴの北約30Km 位にあるカールズバットに我々の技術開発の支社は位置しており,W社とは約20㎞位しか離れておらず,以後,私はこのW社,サンディエゴ支社,それと日本とを2年の間,数10回以上も往復する苦難の始まりとなるのである。

 

このサンディエゴは,携帯電話の開発会社が林立しており,さしづめシリコンバレーをモジッて,通信バレーとも呼ばれているところですが,まあ場所的には,南国の楽園を思わせる場所であり,雨が少なく陽光降り注ぐ年中温暖でかつ海が近い(数Kmしか離れていない)ことで,海のレジャーが盛んなところでもある。

 

なんといってもこの辺の会社員,ほとんど若者が出勤前に海でサーフィンをやってからそのサーフボードを車の上に載せて,そのまま会社へ出勤するのである。なんというか仕事一辺倒の我々ジャパニーズビジネスマンには理解ができない環境でもある。

 

プロジェクトがスタートして数ヶ月後、市場試験がスタートするもなかなかうまく行かず、各社の調整とうまくいかない状況の解決のために日本と米国サンディエゴを往復。。

 

サンディエゴ支社の近くには、とても小さい飛行場があり、国際空港がある大都市サンディエゴからは,かなり距離があるので、日本からこの開発拠点の往復のために、成田→ロサンゼルス空港→パロマー空港→数Kmで開発支社 というルートで行き来したのですが、

 

このパロマ空港というのがものすごいローカル空港で(もっとも米国には、こういういローカル空港がかなりあるのですが)もちろん米国国内線用で滑走路は1500mが一本しかなく、当然ジェット機は発着できない(もっともお客もそんなに居ないので)プロペラ機だけで大体一日に2~3本しか発着しない。そういう ちっちゃい空港。

 

空港ゲートの看板

パロマ空港全景 ちっちゃい空港です。

日本からの行き来の時に経由するロサンゼルス空港は非常に大きい空港でターミナルが7つもあるのですが、このローカル空港への発着ターミナルは,これのどこにも属さず、バスに乗って、空港内の離れたところにあってプレハブみたいな建屋から乗る。最初はそれが全くわからず、日本の場合のようにバスの発着場が出発ゲートだと思っていて待っていたため、あやうく乗り遅れそうになったぐらいで、まあ地方へ行くのはそれなりに大変です。

 

パロマ空港へ話を戻すと乗降客が少ないのでチェックインカウンターなんて洒落たものはなく、1台のそれらしい大きめの机と,とても陽気な太めのおばさんが一人いるだけである。飛行機を降りるときは、バゲージクレームなんてものはなく飛行機のタラップを降りるとタラップの横に荷物を下ろしてくれるから、勝手に乗客はそれを持って出るだけ。逆に搭乗するときは、タラップの横にいる係員に荷物を渡してタラップを登るが,これらの手順があまりに通常の空港と異なるので,最初は,戸惑う事甚だしく,まあローカル空港では何でも聞きまくるしか方法はありません。

 

チェックインの時のおばさんは,どうも一人しかいないらしく,何回乗降しても同じおばさんのため,そのうち顔なじみになってしまい「あらーまた来たの?!何回も大変ね日本からなんて」,渡米時は「お帰りなさい」,帰国時は「行ってらっしゃい」とかなんとか言って毎回挨拶をしてきたものでした。大体,日本人はこんな田舎には来ませんから珍しいようですね。

 

さて,プロジェクトの開発を進めるうちに,1年後に重大な問題が持ち上がってきました。通信技術は,発信側と受信側の2種類の装置が開発され,それらが違う会社で開発されるものだから,それらがうまく技術的に繋がらない場合にどちらが原因かが確定できず,責任のなすりあいが起きるわけで,そういう問題を国が違う会社間で議論し,かつ最先端の通信技術,それも移動体のために再現性が少ない問題となり容易に解決できず,技術開発は暗礁に乗り上げていくのでした。

 

そうなると通信相手であるW社と我々の技術陣とで英語でけんか腰の会議を何回も費やすことになり,険悪なムードになり,全体で数100人の開発技術員が係るプロジェクトも,とうとう暗礁に乗り上げ,契約破棄なんて話も出るかの様相を示してきました。そんな時でした。日本で東京モーターショーが行われるのに合わせて,日本で合宿をしながら議論をしようという事で,

 

W社,我々,N社とで代表技術員 総勢15名くらいの米人,日本人とで温泉地での会合を持つことになりました。モーターショーを見学し,その後,温泉地で食事をとりながら談笑していくと,自然にモーターショーの美人コンパニオンの話になり,W社米人たちと我々のコンパニオンの評価について,どこどこのメーカーのホットパンツの女の子が良かったとかそういう話で盛り上がり,

 

まあ女性に対する男の興味は世界共通なんだな と思いましたが,当時、私の秘書役であった40歳代の在日カナダ人女性弁護士が議事録作成のために同席していましたが、そんな男たちの会話に呆れていました。しかし、そんなこんなで,なんとなく議論がうまく進むことになり,結果的に共同で市場試験をしてそれを評価しようと前向きな案でまとまることになりました。

 

さて開発もなんとか、そこそこ進み始め,そこで,プロジェクト自体をもっと世界中のカーメーカに広めて,仲間を増やし、販売量を稼ごうという事で,F社の4つのグループ会社に対して,PR会議をやろうということで,我々がその責を果たすことになりました。

 

その会社がある国は,イギリス,ドイツ,スエーデンで,即刻行ってプレゼンテーションを実施することになり,その翌週,ドイツ、イギリス経由スエーデンへのルートで機上の人となり,舞台はヨーロッパへと移っていくのでした。

 

次回 第6話 欧州 へ続く

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