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第5話 海外会社との共同開発は絶体絶命(米国編) その1

あれは、15年以上前の5月の末、米国デトロイトも冬の厳しい寒さから解放され気持ちの良い風が吹き1年で一番過ごしやすい時期を迎えたときでした。

遡ることその約2年前、米国カーメーカーのF社と我々の会社にて共同開発プロジェクトを起こし、そのプロジェクトに日本のカーメーカーN社も参画して、3社による、ある技術開発とビジネスを進めようとした。

 

今でこそ日本でも一般的に実施されている技術ですが、

それは今から15年以上も前の事で、車の中と外部とを携帯通信で情報をやり取りするビジネス、いわゆるテレマティックス時代の先駆けとして、米国で技術開発とサービス構築を開始。

 

車内と外部との通信サービスを行うには、何らかのプロバイダーかいわゆるサーバービジネス会社が必要で、そのためにF社は、ベンチャー企業W社を起業し、出資。

それらのサービスをF社、N社のユーザーの車に配信をするという技術挑戦でした。

 

結果的にF社、N社、W社、と我々の会社で合計4社による技術開発とサービス構築をする一大プロジェクトがスタートして、我々の担当は、車載器の開発、W社は、サーバーとそのアプリケーションを開発、

 

このW社は急遽、通信関連の技術者集団を集めたベンチャー企業でもあり、約300人以上の新規米人技術者による開発をスタートさせた。

そして、約2年の間、4社による技術会議と進捗管理、サービス実証試験を繰り返し、5月末、やっと最終段階を迎えつつあった。

 

5月某日(金)米国デトロイトのN社の研究所の一室にて、最後の検証結果、フィールド試験結果をもとに、最終判断のための各会社の役員と技術責任者による会議が行われた。

4社の20数名の技術管理者による報告と質疑が、午後1時から既に6時間以上の間繰り返され、各サービスの実証試験結果と問題点、車載器の性能試験結果が、各社各担当から報告、疑問点、残された問題点について厳しい質疑応答が繰り返されてきた。

 

特に技術問題として車載器の技術問題が多く、百数十点以上の疑問点に関する説明に、四苦八苦してそれらの問題が、技術仕様上の問題なのか、単純に電子機材の問題なのかを一つ一つ噛み砕いて説明をして、最終的に午後8時にすべての審査が終了し、サービスとしてあるいは車載器の機材として量産可能かどうかの判断ができるだけの材料がそろい、その結果、GOサインが出されたのでした。

 

実質的に車載器開発の責任者であった私としては、ほっと胸をなでおろした一瞬でした。

もしここでOKが出ないと契約違反として我々は大きな補償金を支払うことになり手に汗を握る会議でもありました。

そして、良い結果を手に、翌翌日の日曜日に日本へ帰国、月曜日に晴れやかな気持ちで出社し、8月からの量産化へ向けてスケジュール調整をしていた時でした。

 

そんな月曜日の昼前ごろ、突然、米国からこのプロジェクトを中止する旨の通達がF社からあり、我々の開発部隊200名近くは騒然となりました。金曜日に最終会議でOKを出しておきながら、翌月曜日に中止を通告するとは、それも2年間、各社の合計700名以上の人的資源、技術者、数十億もの開発費用を費やしておきながら、その理由も告げずに計画は中止という事でした。

 

急遽我々の接続先であるサーバー会社であるW社へ電話するも、つながらず、何度かけてもだれも電話をとる気配さえ無く、仕方がないので、我々のデトロイト支社から様子を聞いたところ、すでにベンチャー企業であるW社は解散、200名以上いた技術者の殆どは会社にはいないという事であった。どういう事なのかさっぱり状況がつかめず、何が起こったのか我々は、日本でただただ、うろたえるだけでした。果たして、一体何が起きたのか。その訳は? この後一体、どうなるのか。絶体絶命の事態が訪れるのか。

 

次頁 第6話 へ続く。(下のボタンを押して その2へ)

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