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  第4話 サバイバル旅行記 (2) 飛行機は飛ぶの? (第3話からの続き)

夜中中、余震に怯えながら、壊れた部屋で一夜を明かした我々家族は、地震2日目を迎えた。

昨夜の台風の雨風は収まり、天気だけは良い一日が始まった。

 

ホテル自体の現状を見ようと部屋からロビーへと降りていったが、

ホテル自体は、倒壊はしていないものの、各部屋のドアというドアは、壊れ、廊下や階段には落下物が散乱し、また一部壁が崩れたりして

通りにくいところもあったが、なんとかロビーまで降りて、様子を見たところ、大勢の宿泊客が、床に座っていました。

 

ホテルの玄関を出たところ、壁の一部がはがれおち、道路に散乱しているところもあり、地震時にホテル内にいなくて良かったものだとは思いました。

 

さてこういう状況で、明日は帰国する予定にはなっていますが、さて、飛行機は飛ぶのか、エアポートの状況はどうなのかが非常に気になりましたが、いかんせん、情報をとる手段が無く、ホテルの現地従業員も居なくて、どうしようもなく途方に暮れて

 

うろうろするばかりでした。そんな時、ホテルのロビーでおにぎりを配る人がいました。どうもホテルの従業員で日本人がいて、その人が炊き出しをしているようでありがたく、家族の分をもらって、食事としました。そんなこんなで屋外も危険だし、まあホテル内でガラスが無い床で家族でその日は過ごしました。

 

さて地震2日目、なんとか空港に行かねばなりません。そこでホテル内をうろうろしていると、幸運にも空港への自家用バスをホテル側が用意してくれることになり、空港の状況は、はっきりしませんが、家族4人で、とにかく荷物を持って、空港へ向かいホテルを後にすることになりました。

 

さて空港に近づくにつれて、なんだか状況は一変しつつありました。なんだか飛行機が多い、大勢の人がいるみたいで、空港へ着いて、その理由がわかりました。

なんと空港の床という床には、とてもたくさんの人がびっしりと居て、足の踏み場もないほどの混雑で、しかも電気が来ていないらしく、空調がありません。ここはグアムで30度以上の常夏です。

暑いのと湿気と非常に多くの人で空港内はむせ返るようでした。何故こんなに人が多いのかは、すぐわかりました。グアムのほとんどすべてのホテルが地震のために半倒壊し、我々のホテル同様、新規のお客を受け入れることができません。

 

しかし地震当時にグアムへ向かっていた飛行機は、どんどんグアムへ着陸し、地震3日目には、到着した客はホテルには行けずにすべて空港内に足止めされていたわけです。

 

しかも飛び立つ飛行機もまだ少なく、地震の情報がまだ各国へ伝わっておらず、地震はあったが、グアムへ着けばなんとかなるだろうと観光客ばかりで、空港へ人がたまるはたまるは、それこそ、人間であふれかえっているのが現状でした。それも30数度のエアコンがない室内ですし詰め状態。。まるで、地獄ですね。

 

1っ点だけ良いことがありました、それは、エアポート内のすべての電気は停電してはいますが、航空管制用の電力は使えるらしく、非常に遅れてはいるが、飛行機の発着はあるみたいでい。

 

我々も空港内の床に座って、(椅子なんてとても座れる状態ではなく、床でさえ座る場所を探すのに苦労するほどでした)自分たちの飛行機が飛ぶかどうか、いつ飛ぶのかなどを少しでも聞きながら、待つこと約10時間くらい。なんと我々の飛行機が飛ぶらしいことがわかり、家族4人ほっと一安心して、搭乗へ、

 

空港内には、帰国したい人、グアムに来たばかりの人たちがどうしようもなく床に座り続けている人が非常の多く、そういう人たちを横目に見ながら、我々4人は帰国の途に就きました。

 

さて名古屋空港(小牧空港)へ着き、タラップを降りて、4人はほっとして、お互いを見ました。4人とも地震の時にレストランではいていたサンダル履きで、土砂降りのなかで逃げた服がその後乾いて、泥が一部ついていたりで、まさに地震にあったその時の状態で名古屋空港に降り立ったことを初めて気が付きました。泥まるけの4人でしたが全員無事で名古屋に帰れたことを奇跡の様に感じていたものでした。

 

あとで調べたら、グアムは、地理的に日本列島を縦断する火山帯の一番南端に位置し、日本同様地震が多いという事がわかり不思議に納得したものでした。でも旅行時の非常食を常に用意するようになったのは、この時の教訓からでした。あの時にチョコレートがなかったら、もっとひもじい思いをしていたかもしれません。 チョコレートに感謝!

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