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アンカー 1

第9話 人事その2 技術は涙の向こうから

海外対応をしていると時差の問題で、日中、日本で開発してその結果を海外で試験、顧客対応する、または逆の場合もあり、良く言えば、24時間仕事が可能である代わりに、

24時間気が休まる時間はありません。

 

当然日本が夜中でも海外の顧客は昼間で動いているわけですから、それなりの対応が必要になる場合があります。

そんなわけで、昔の話ではありませんが、「24時間働けますか?」 というのが実情でした。

そんななかで日本の開発部隊の部下の中には、次期リーダーを嘱望された、まだ若い優秀な技術者が居ました。彼はあるプロジェクト開始時に丁度、結婚したばかりで、プロジェクト中は、まさに新婚生活真っ只中でした。

そして、プロジェクト約3年後、ある時、彼が既に離婚していたことを知りました。

どうも、新婚生活時は会社の社宅へ入り、しかも遠いところから嫁いできたことから、嫁さんは、忙しい夫の帰りを一人社宅で過ごさなければならなかった。

しかも繁忙時には、夫は朝早く出社して夜1時2時過ぎに帰宅、場面によっては、会社で徹夜になる場合もあり、お嫁さんとしては、たった一人、知らない土地で知らない人ばかりの社宅で非常に寂しい思いをしてたということで、それが耐えられず、離婚の原因だったということを離婚後随分立ってから聞きました。

この時代は高度経済成長期で、まだ残業規制もゆるくて、残業は月90時間以上やっていたと思います。が、今で言うブラック企業とは違って、サービス残業というのはなくて、残業すればそれだけの残業代はきちんと支払われていましたので、そのため本給より残業代のほうが多い場合も多々あり、彼の場合もそうでした、


そのため、おそらく20台後半の技術者としては一般エンジニアの倍くらいの月収があったと思います。

社宅のため住居費も殆どかからず、金銭的にはかなり裕福だったと思います。
もしこの嫁さんがこの自由になるお金で、外で若干でも遊ぶ人だったら、離婚にはならなかったと思いますが、やはりお金より愛情なんでしょうね。。。

まあその時は、プロジェクトに関わっていた誰もがそういう体制だったために、私も特に意識していませんでしたし、まあ私はと言えば、「亭主元気で留守が良い」という具合で徹夜も気にしないような家庭状況でしたから。また彼らも子供でもできていれば別だったんでしょうが。

そこで、くだんの秘書のカナダ人女性に「キミは知っていたのか?」と聞いたところ

「知っていました」 、

「なんで私に言ってくれなかったのか?場合によっては彼の仕事をもっと減らすこともできただろうに、それに技術者たちの状況を報告するのもキミの仕事ではないのか?」と詰問したところ。

「でもボスはいつも出張が多く、たまに机に居ても、大きなため息ばかり付いて、暗そうな顔をしていたので、あまり各自のプライベートについては、言えませんでした」

と言われ、はたと気が付きました。

そうです、私は、どうも仕事の米国向け業務の契約問題のこじれと仕事のプレッシャーからか、なにかと大きなため息(英語でBig sighと言いますが)を付くのが癖になってしまっていて、それが彼女から言われるまで、自分でも全く気が付かず、彼女に言われて初めて気が付きました。

それで、彼女にはそれ以上なにも言えず、では、くだんの、技術者リーダーに直接その点を聞きました。

「何故、そういう離婚状態になる前に、言ってくれなかったのか?状況によっては、仕事を減らせたかもしれないのに」

「ええでも、自分は運が悪かったと思っています。状況的にはきつかったけど、離婚したことは、今は後悔はしていません。

それより仕事は、やりがいがあったし、第一、米国、欧州と直接技術対応をでき、また米国へ出張して現地の技術者と一緒に仕事ができ、最新技術に関われたのはとても働きがいがありましたし、そういう機会を与えてくれたボスには感謝しています。」

と言われ、それ以上、2の句が付けませんでした。

あまり仕事に熱心なのも考えもので、周りを不幸にすることも有るんですよね。

まあ なんというか、こういうのは、何かを犠牲にしないと回答がないのかね 。。。仕事か生活かの2者択一にしか回答がないというのかな と複雑な思いでした。

多分、お金があっても駄目で、仕事ばかりではなく、温かい家庭と愛情がなければいけないという事でしょうか。

頭では分かっていても、実際にもそうなんだと言うことを実体験として分かりましたが。。。。

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